「自分が納得できる医師に出会えるまで、諦めてはいけないと思いました」
レポートNo.5

松坂直子(47歳)
●黄色く変色した切り抜き
もう8年前の話ですが、「週刊文春」の89年1月26日号に広尾メディカルクリニックの紹介記事が掲載されています。偶然見た「重症の子宮筋腫に福音となるか、レーザーメス治療」というタイトルに釘付けになったのは、私自身が子宮の病気を自覚していたからです。

こういう病院もあるんだ、いざとなったらここに行けばいいんだ。ひどくなる一方の症状に悩みながらも、駆け込み寺を知ったような心強い気持ちになって、その記事を切り抜いて折り畳んで手帳に挟みました

そうして4年が過ぎました。この間、切り抜きは手帳に挟んだまま。あちこちの病院を転々としながらも、切り抜きを捨てることができず、93年の春に斎藤先生に手術していただくまで、すっかり黄色く変色してしまった切り抜きを手帳に挟んだままずっと持ち続けていました。


●痛みから始まった
初めて、子宮の異常を自覚したのは、「週刊文春」の記事に出会う4年前の85年のことでした。ちょうど、夫の海外研修に付いて渡米する引っ越しの最中でした。明日には荷物を出さなくてはいけないと、大車輪で荷造りをしていた夜中に、ものすごい腹痛に襲われたのです。部屋中荷物だらけで、身体を横にするところもない。辛うじて押し入れにわずかなスペースを見つけて、布団にくるまっていたのを思い出します。ただ、その時が生理日だったのかどうかは記憶がはっきりしません。

引っ越し先のニューヨークでも、腹痛と月経過多の症状が頻繁に出るようになって、きっと子宮に病気があるに違いないと自覚するようになりましたが、それが内性子宮内膜症(腺筋症)によるものであると診断がついたのは、ずーっと後になって広尾で斎藤先生に診ていただいてからです。

おかしい、おかしいと思いながらも治療を受けずにいたニューヨーク時代と帰国後の3年ぐらいの間に、おそらく腺筋症が進行したのだと思います。


●病院ジプシーの日々
夫も私も舞台スタッフの仕事をしています。公演が始まると、舞台のスタッフというのは現場を離れることができません。腹痛とものすごい出血がある生理日といえども、頻繁にトイレに行くことができない。しかも、生理の期間がだんだん長くなっていく。実際、トイレの問題は深刻でした。生理が始まると、まるで赤ん坊を連れて外出する母親のようにカサばるほどオムツ(ナプキン)を持たなくてはならない。行動を共にすることの多い夫も、行く先々で「トイレは大丈夫?」と言うほどでした。

これはなんとかしなくては、と東大病院に通うようになったのは、「週刊文春」の記事を読んだのとほぼ同じ頃だったと思います。東大病院では「子宮筋腫はあるけれど小さいから、貧血の治療をする」と言われて、通院している間にもらったのは増血剤だけでした。通院しているのに痛みや月経過多はいっこうに改善されず、しかも、行くたびに診察する医師が変わっている。何か質問しても、迷惑そうに「まあ、様子を見て、ひどくなるようなら切るしかないですね」と言う。医師への不信感とここにずっと通っていてもダメだという思いが膨らんで、それから病院を転々とする病院ジプシーが始まりました。


●思い出した切り抜き
最後に行ったのが、広尾の日赤中央病院で、ここでも「症状を改善するには全摘しかない」と言われました。この頃は生理時の痛みはますます強く、病院でもらっている痛み止めも全く効かなくなっていました。ひと月のうちの3分の1は痛みで何も手につかないのです。

そういう状態が繰り返される生活にほとほと疲れてしまって、藁をもつかむ思いと言うのでしょうか、日赤からの帰り道に、ふとあの切り抜きの病院に電話をしてみる気になったのです。所在地の所番地から、おそらく日赤の近くにあるはずだと思って電話したのですが、当時の広尾メディカルクリニックは日赤と目と鼻の先にありました。

一緒に付き添ってきていた夫によれば、斎藤先生に会って話を聞くうちに、「この先生なら大丈夫だ」と直感したといいます。あちこちの病院で医者不信に陥っていた私は、むしろ夫の「予約しちゃえ、予約しちゃえ」という言葉に背中を押されるうにして斎藤先生の手術を受けることを決めました。


●斎藤先生に行き着く
広尾で手術を受けたのは93年3月ですから、自覚症状を覚えるようになってから8年、東大病院を皮切りに病院ジプシーを始めてから4年あまりが経過していました。

なぜ、89年に斎藤先生の存在を知りながら、その時にすぐ診てもらわなかったのだろうという悔いはありますが、ひとつには自費診療であるために自己負担が大きいことがネックになっていました。金額どころの話ではないという状態にまで悪化して、行き着いたところが斎藤先生でした。この経過は広尾にやってくる大多数の患者さんが通るプロセスでもあるようです。

たしかに一時的には大きな出費ですが、健康を取り戻して働けるようになれば、いくらでも挽回できる。手術を受けて痛みと出血から解放されて、健康には代えられないとつくづく思いました。

元気になってから、「どこの病院でも不可能と言われた子宮保存手術を受けて、私は治りました!」と声を大にして言いたくて、斎藤先生が作ってくださった術前、術後の経過を記録したファイルを持って、東大病院に行ったことがあります。そして、当時のカルテの開示を求めました。「東大でなぜこういう治療ができないのですか」と聞く私に、対応した医師は「ウチで行ったのは貧血の治療だけ。子宮内膜症の治療はしていませんから」と言い、カルテも見せてはくれませんでした。なおも食い下がる私にしぶしぶ診断書を書いてくれましたが、そこにはたしかに貧血の改善のために増血剤を処方したことだけが書かれていました。

病院ジプシーを経て斎藤先生に救われた私の経験から、納得できる医師に治療を委ねる時まで諦めてはいけないと痛感しています。この思いは術後4年が過ぎた今も変わりません。


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