子宮腺筋症
「感謝を込めて」
レポートNo.109

中山里津子(52歳)
●入院前日
部屋を念入りに掃除して、蕾のカサブランカを1本花瓶に挿し、準備は整いました。いよいよ明日手術。五泊六日の旅にでも行くような少し高揚した気分で、その日は早く眠りにつきました。

●入院当日そして手術
晴れ女を自負していたのに、雨。ドアを閉めて出かけようとしたら、昨夜飲んだ下剤がまたまた効いてきて戻る羽目に。駅に着くと、線路にタイヤが置かれていたとかで電車は遅れ・・・。やっと横浜方面の電車に乗り換えたら、ホッとしたとたん特急で乗り過ごし、30分近く遅れて9時に病院到着。なかば放心状態の私に、看護婦さんから、「あなた今日一番目の手術ですヨ。麻酔の先生がみえたらすぐに始めますからね」。

あれよあれよというまに手際よく手術の準備がすすめられ、9時45分、麻酔の先生がみえて手術室へ。頭はほとんど思考停止状態。手術室の入り口に立ったら部屋が光り輝いて(本当に明るかったのです)見えました。小さな踏み台を一歩一歩のぼって、手術台に手をついた途端、ホ〜ッとしたのを覚えています。「ああ、やっとたどり着いた」と思った途端、昨夜から絶食していた胃袋が「お腹空いたヨ」。手術の怖さよりも「これで助かる」という思いでいっぱいでした。

手術中は何度か意識が戻り、看護婦さんの声や、バチンバチンというホッチキスの音を聞いていました。何も知らないあいだに終わるのとちがい、手術の様子をところどころでも覚えていることで、言葉で言い表せない力を得たように思います。

手術が終わり病室で意識が戻ったのが12時半少し前。まず会社に電話をかけました。「もしもし」「これから手術?」「今終わったヨ」「ェ、え〜ッ」。それからもう一箇所電話をして無事終わったことを知らせることができました。不思議なくらい元気だったのです。

●本当に永い道のりでした
なんだかおかしい。そう感じ始めたのが20台半ば。生理の前後半月は、体調が悪く、後の半月は元気という状態が何か月か続き、それがよくなってきたら、こんどは小さなレバーのようなものが混じるようになり、30歳ころには生理痛が起こるようになっていました。それから激しい生理痛との永〜い永いつきあいが始まったのです。生理の2日目と3日目は脂汗を流してうずくまっているしかない状態でした。それでも痛み止めを飲んだのは本当に数えるほどでした。

今にして思うと若くて体力があったから耐えられたのでしょう。痛みがすぎればケロッとしていたのですから…。40歳すぎたころには、このまま閉経まで持ち込めば小さくなるかもしれないという、まさに無知としかいいようのない期待をもって毎月の生理痛とつきあっていました。「ああ、私の人生、何分の一かは痛みについやされるのか」ふとそう思うことも度々。

そして、閉経を迎える年齢に近づいたとき、見事にその期待は裏切られたのです。小さくなるどころか、じわりじわりと大きくなり、50歳をすぎたころにはお腹がどんどん前にせり出してくるようになったのです。2〜3か月おきに前へせり出したり、へこんだり。さすがにそのころには全摘の二文字が頭をよぎるようになっていました。「全摘しか方法はありません」と言われ続け、頭はそこでストップしたままだったのです。

若い頃はたいして自覚症状のなかった貧血も、めまい、立ちくらみはないものの、疲れやすい、気力が出ない、やたら眠いという症状になって私を苦しめるようになっていました。心臓は時々妙な打ち方をするようになり、心電図は異常はなしといわれていても、「このままでは、そんなに生きられないかも知れない」そう思うようになっていました。

●広尾メディカルクリニックとの出会い
4か月おきの血液検査、年に2度の体がん検査、年に1度のMRI検査をつづけながら、癌にさえならなければ大丈夫と頑張っていたものが、前に突き出してきたお腹、体力の衰えとともに悪くなる一方の全身状態。この数年、仰向けに寝ることすらできなくなっていました。

「もうだめだ、全摘しよう」そう覚悟を決め、どうせ切るなら納得できる先生にお願いしようと、手始めにインターネットで検索してみたところ、すぐに広尾メディカルクリニックの体験談に巡り会ったのです。「ここしかない」と確信しました。すぐに問い合わせのメールを出したところ、折り返すように丁寧なご返事をいただきました。そこに書かれていたのは、これまで何箇所もの病院巡りをして、初めて聞く内容ばかりでした。『こちらの病院のコンセプトは、子どもを産み終えたから、産まないからという問題でなく“摘出してよい臓器はない”ということです』。心の底から聞きたかった言葉が書かれていました。この先生なら最悪全摘になっても悔いはない。すべてお任せすることにしました。いつか「この先生ならば」という日が来る。二十年来支えにしていた思いが叶ったのです。

手術を待つ1年間は、「無事手術の日を迎えられますように」と、ひたすら祈りながらの毎日でした。心細くなると、先生から頂いた本やインターネットの体験を読むことで、たくさんの元気をいただきました。

●入院生活
月曜日手術の3人、水曜日手術の2人、合わせて5人。退院後、顔を合わせたときに出てくるのは「入院生活、楽しかったね〜」。術後の痛み、体につながれた管が一本一本はずれていく過程、それまでの辛さ、さまざまなあふれるほどの思いを、ともに分かち合いながら、支え合いながらの入院生活でした。

特に印象に残っているのは、部屋に置いてある自分の摘出物をみての感想。誰ともなしに「なんだか人の顔に見えるよね」「エイリアンみたい」「おしっこって、こんなにたまるんだ」。

取り出されたものを袋の外から触ってみたら、ゴムタイヤのような感触。「こんなに硬いものが小さくなったり、消えるなんてありえない」。それまで、漢方薬、針、灸、整体、気功などなど、効果があると聞けばいろんなものを試してきた私には、愕然とするものでした。

さらに、筋腫や腺筋症という病名は一つでも、形もできている場所もさまざま。誰一人として同じものはないということを目のあたりにしたのです。

●仕事に復帰
術後2週間で職場に復帰しました。これについては本当に後悔しています。最低でも退院後3週間は休むべきでした。抜糸までの3週間は10時〜4時の勤務にしてもらったのですが、背中の凝りがひどく、仕事帰りに毎日のように背中をほぐしてもらいながらの一か月でした。日に日によくなっていた傷の治りが、しばらく横ばい状態になったことからも体の負担はかなり大きかったと思います。長年の病気から解放された喜びと気力で乗り切ったようなものです。

●生理が来た
手術から3か月半、生理がきました。年齢からしてこのまま閉経かな、と思い始めていたときでした。量は本当に少ないものでしたが、不正出血ではないのは確かです。こうやって自然に閉経が迎えられることに感謝です。

●貧血のこと
「たかが貧血」−−長い間そう思っていました。でも、今回の手術をとおして貧血の怖さを知りました。血液検査は、ヘモグロビンの値だけでなく、貯蔵鉄の量を必ず調べてもらってください。血液専門の先生や、婦人科の先生で、こちらから申し出なくても調べてくださる先生はいらっしゃいますが、理解して頂けない先生が多いのが現状です。

とくに手術を受ける人は、術前に貧血を改善しておかれるといいですね。術後の快復が違うことを身をもって感じています。

※広尾メディカルクリニックでも、貯蔵鉄を含む60項目という詳細な血液検査を受けることができます。検査を受けたい方は申し出てみられてはいかがでしょうか。

●ありがとうございました
退院の日。タクシーを降りて、ドアを開けると、おおらかに咲いたカサブランカの香りが部屋中に立ちこめていました。頂いたこの命、大切にしなくては!


術前(Pre-OP)のMRI 術後(Post-OP)のMRI 摘出物
術前のMRI1 術後のMRI1 摘出物
術前のMRI2

術前のMRI3 術後のMRI2


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