子宮筋腫
「輝いた顔にもどれたことに感謝」
レポートNo.114

M.I.(44歳)
●おなかに筋腫なんて思いもしなっかった
私は自分のおなかに筋腫が存在していることを疑ったこともありませんでした。家族や親戚にもそのような症例はなく、27歳頃から年に2〜3度生理痛がひどくて苦しみましたが「自分の生理は重いほう」位にしか考えていませんでした。

40歳を過ぎるまで生理の初日には鎮痛剤を飲んでいましたが、周期も出血期間も一定で、「重い生理」とうまくつきあってきたつもりでした。でも生理が終わるとぐったりと体力を消耗していたことを覚えています。その後も何度か痛みや多量の出血がありましたが病院でも異常は無いと言われて、出血を抑える薬などを処方されていました。

しかし44歳の春に30分ごとに大型ナプキンから溢れるほどの出血が6時間も続き、その後6時間は小康状態があったものの次の6時間は1時間ごとにまたおびただしい出血が6回もあり、枕に体を休めながら完全に自分に異常が起きていることを悟りました。その生理は終わるまで2週間ほどもかかり、検査のために昭和大学横浜北部病院の婦人科を紹介されました。

●大学病院の診療って・・・
その病院では、4時間待っても希望した医師に診療を受けられなかったのみならず、診察した若い医師は内診をして症状を聞いてから、改めて予約を取らないと内視鏡検査が受けられないと言いました。予約の電話で内視鏡希望と言っているのに、今日はなんのための診療なのか?生理になると外出できない状態になる私は「これが大学病院か?」とあきれました。

予約した日、別の医師が内視鏡を見ながら子宮の中に小さなポリープがありこれが出血の原因かどうかは判らない。また筋腫かポリープかもお腹を切ってみないと判らない。入院は2週間かかるからもう少し様子を見た方がいいのでは?といいました。内視鏡の画像を見ながらそのポリープを突くと根本からサーッと出血をするのが伺えました。

その医師は、「出血が困難を極めるなら子宮をとってしまう方法もあります」と軽く口にしました。再びあきれた私はここには二度と来ないと病院を後にしました。

●「名医を探せ」の一言に奮起
その数日後、どこかに頼れる医師を探さなくては!と思っていたときにTVで「名医は必ずいます。探してください!」というある医師の言葉を聞きました。「そうだ・自分から探さなくては!」と急に奮起して、パソコンで「名医・月経過多」と検索をかけたのです。そのときはまだ、自分の症状が子宮筋腫だとは確信していませんでした。

そして、斉藤先生に娘さんを救われたあるお母様のHPに出会い、私をもっと酷くしたような症状の娘さんが子宮筋腫であることを知り、恐らく自分にも筋腫があるのだろうと予感しました。そしてそのHPで、この病院が私を救ってくれる場所だと確信しました。

●広尾での診察
翌朝すぐに電話して、診療の予約を取りました。看護婦さんは的確に診療への手順を説明してくださり、計画していた旅行から戻った3日後に佐々木病院へMRIを取りに行きました。待ち時間のないスムーズな対応に、病院の連携がこんなにすばらしいのは広尾MCが無駄のない診療で患者を守ってくれている姿勢だと思いました。

そのデーターを持って広尾MCへ、そして思っていた以上に斉藤先生の診断はシャープでストレートでした。斉藤先生は即座に筋腫があると診断されました。しかも10年は前からだと思うよとおっしゃいました。現在の症状をMRI画像から説明してくださり、絵を描きながらこれまでの出血の理由を解析してくださいました。またエコーを診て卵巣の異常も指摘されました。

私は始めから、説明がどうでも斉藤先生にお任せするつもりでおりました。しかし、これまでのエコーでも発見されたことのない病変を指摘され、またはじめてMRI画像による的確な診断を受け、これまでの診療経験とのあまりのレベルの違いに驚きました。いったい日本の婦人科医療はなんて遅れているんだろう!という驚きを感じました。

先生が私の年齢と貧血状態を考慮して手術のキャンセル待ちを優先してくださると聞き、もうすっかり安心できました。正直、もう「救われた!」という気分になりました。

2階へ行って入院している患者さんとお話しすることを勧められ、お腹をかばいながら笑っている患者さん達を見ると、みんな「救われた!!」という輝きに満ちているようでした。自分の救われた体験を話したくて、ドンドン聞いて!という気持ちが伝わって来ました。広尾MCがそんな慈しみの空気を放っているのは、全霊を込めて治療に当たっている先生の責任感と、それをよく理解して先生と患者さんをサポートする看護婦さんの想いが、一人一人の患者さんの身にしみて深い感謝として伝わっているからだと思います。

●手術後の当日歩くなんて!
手術後、摘出されたものは検査に出すまで患者の部屋の机に置かれます。私の子宮から取り除かれたものには粘膜下筋腫16gの他、子宮筋腫2gと内膜ポリープ1gがありました。こんな小さなものまで取って下さったんだと安心しました。卵巣は片方がデルモイドという変質を起こしており、摘出されました。

目が覚めたときは病室のベットで、間もなく看護婦さんに「病室が上の階に変更になりますから歩いて階段を上って移動しますよ」と言われ、びっくりしました。まさか当日に歩くとは思っていませんでした。

その夜は夜中に何度も看護婦さんが見に来てくれて、とてもありがたく感じました。入院前から術後2日ほどは水が飲めないので唇が乾いて、お腹が痛いのと同じくらい辛かったことを覚えています。翌日から歩け歩けと先生や看護婦さんに言われて、同日手術の患者同士誘い合っては隊列をなして点滴を転がしながら廊下を往復して歩きました。

だんだんお食事が増えてゆき、退院前のお寿司とケーキの日には軽い運動も出来るほどに回復して、入院の日々はあっという間に楽しく過ぎてしまいました。

●喜びに輝く顔・顔・顔
術後のMRI画像で私の子宮は上向きに角度を変えていました。生理は翌月末に来て、その後も出血は5日で終わり、量は1/50になったと思っています。痛みを感じる時はありますが薬を飲む必要は全くなく、以前のように疲れやすく感じることもなくなりました。

術後検診には5ヶ月後に、同日に手術していただいた3人で揃って伺いました。看護婦さんから「何かありましたか?随分様子が明るくなりましたね」のように言われました。そうです。広尾MCで手術を受けられた人は、みんなきっと輝いて生きていると思います。辛かった時期を経験して、そこから救われた喜びを実感して生きていると思います。毎月元気を吸い取られてゆくような出血がもう無くなったのです。入院前、入院中、退院後の抜糸時など、広尾MCで出会った多くの女性がこの幸せを共有できることに喜びを感じています。

先生は、今も筋腫を治療するだけでなく、その原因を探る探求を怠っておられません。「医師という職業は、一般の人には理解出来ないと思うよ」と言われた先生の言葉が思い出されます。身をすり減らすように手術を重ね、予後に可能な限りの万全な体制で臨み、手術の内容を詳細に記録する。

●斎藤先生の生き方を感じた出来事
退院後間もなくの検診に訪れたおり、斉藤先生が長靴を履いて庭師のような出で立ちでクリニックの周りの木に水をまき、玄関先のお花の植え込みをしておられました。入院中はクリニック中の植物にもお水を与えておられるのを目にしたので「先生が、そんなことまでされるのですか?」伺うと「他に誰がやるのよ〜」といつものように茶目っ気たっぷりに答えられた後、「同じ人が水をやらないと死んじゃうんだよね」と言われました。

私も植物が好きです。何時、どれくらいのお水をあげたのか、ちゃんと継続して様子を知っててあげないと植物を維持するのは難しいことを実感します。ああ、先生の生き方だなっと思いました。

斉藤先生に、魂を込めて治療していただいて本当に感謝しています。私にHPを見せてくれた名も知らない患者さんのご家族にも感謝しています。暖かく、的確な看護で見守ってくださった看護婦さん達に感謝しています。斉藤先生が救ってくださった6000人以上の患者さんに自分が含まれたことを少し誇らしくも感じ、一人でも多くの女性が救われてゆくことを願っています。

術前(Pre-OP)のMRI 術後(Post-OP)のMRI 摘出物
術前のMRI1 術後のMRI1
術前のMRI2 術後のMRI2
摘出物

子宮筋腫
粘膜下筋腫
内膜ポリープ
左卵巣デルモノイド
2g
16g
1g
12g



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