●結婚後に2回の子宮核出手術
2000年に結婚してから、01年1月と02年8月に子宮筋腫の核出手術を八王子のT医大医療センターで受けました。
10代の頃から生理が重く、出血が多いために貧血気味でしたが、子宮筋腫があることを知ったのは1999年8月、26歳の時でした。仕事帰りに今までにないような大量の出血をしたため、近所の産婦人科医院に行きました。その時はヘモグロビンの数値が4.8と低く、筋腫の治療よりもまずは貧血を改善することが先でした。その後、筋腫の治療をするためにT医大医療センターへ移りました。
T医大医療センターでの最初の治療は、ホルモン注射を打ち、生理を止めて筋腫を小さくするというものでした。月に一度注射を打ち、3ヶ月程すると筋腫が小さくなってきましたが、この注射はとても強いものなので、6回までしか打つことができません。
注射をやめるとすぐに筋腫は元の大きさ(それ以上?)に戻ってしまいました。ホルモン治療だけでは症状が改善されなかったため、核出手術を受けることになりました。しかし、症状が改善されたと思ったのは術後1月くらいで、また生理のたびに大量の出血に悩まされることに。外出先で出血が始まって、駅から家まで歩いて帰ることができなくなって、同居する母に電話で助けを求めたこともありました。
再受診すると、手術で切除後にまた筋腫ができているとのこと。妊娠しにくいのはそのためだろうとの説明に、再度の核出手術を決心しました。妊娠の可能性を少しでも高めることができるなら、もう1度手術を受けてもいいと思ったのです。
しかし、期待通りにはなりませんでした。2度目の術後の経過も1度目とほぼ同じで、しばらくすると大量の出血がまた始まったのです。
●3度目の手術を広尾MCで
2度目の手術の後、主治医は「どうしても子どもが欲しければ、代理母という方法もあるしね」と言いました。この言葉を聞いて、私は「この次は子宮全摘になるということを言いたいのだ」と理解しました。子宮全摘?! それだけはどうしても受け入れることができませんでした。
結婚後間もなく2年続けて核出手術を受け、それでも症状が改善されない私を母は心配し、何かよい解決方法はないか、どこかに名医はいないかと、心当たりを当たってくれていたようです。母自身が40代で子宮全摘手術を受けており、子宮筋腫という病気の大変さと子宮喪失を経験していたため、娘の私にはなんとしても子宮を残してあげたいと思っていたようなのです。
幸運は思ったより早く訪れました。父のテニス仲間の紹介で朝日新聞編集委員の田辺さんを知ることになり、田辺さんから薦められたのが斎藤先生だったのです。田辺さんは長らく医療関係の取材と執筆を続けてこられたジャーナリストで、斎藤先生の子宮保存手術をいち早くメディアで取り上げ、その手術を高く評価している方です。
広尾MCでの初診は02年の12月。T医大医療センターでの2度目の手術から4ヶ月あまりしか経っていませんでしたが、斎藤先生のお話を聞くうちに、もう1度斎藤先生に手術してもらおうと心が決まりました。診察時に内診がないこと、エコーによる診断だけで症状を的確に説明してくださることなど、これまでかかっていた病院とは全く異なる診察でしたが、そのことが斎藤先生への信頼を深めることになりました。
後日、斎藤先生から「過去2回の核出手術で症状が改善されなかったのは、子宮内膜に入り込んだ筋腫部分には全く手つかずだったため。でも、この部分を下手にいじられると内膜が薄くなって、後々の妊娠に差し支えることになるから、そういう意味では良かった」とお聞きしましたが、まさに3度目の正直で、ここで斎藤先生に出会ったことが現在の幸せに向かって歩き出す第一歩となりました。
●流産、そして妊娠
術後の経過は順調で、この体験レポートで皆さんが書いているように、生理時のあの恐ろしいほどの出血が劇的に軽減されました。なにしろ手術前まではナプキンだけでは心配で、紙オムツを重ねていましたから、その心配から解放されて、また貧血も改善されて、心身ともに軽やかになりました。
待ちに待った初めての妊娠がわかったのは05年3月。3度も子宮にメスが入っているにもかかわらず妊娠したことが無性に嬉しくて、すぐに近くの産婦人科で診てもらいましたが、間もなく流産。診察時に内診をしたことが刺激になって流産してしまったのではないだろうか…、ようやく妊娠できたのに…、とあれこれ思い悩み、悔やみました。初めての妊娠で流産するというのは、本当にショックでした。
しかし、それから半年後に、妊娠の兆候が現れました。生理の予定日を1ヶ月過ぎても生理が始まらず、もしかして妊娠?という期待は確信に変わりました。今度こそ流産することのないように、大事に大事にしなくては、という気持ちから、もうどこの産婦人科にも行かず、斎藤先生に妊娠の判定をしていただくことにしました。もちろん、妊娠。先生もスタッフの皆さんも、とても喜んでくださいました。
●妊娠30週で腹部に痛み
妊娠の経過はきわめて順調でした。初期のつわりもなく、体調不良を感じることもなく、勤務先の仕事を続けながら06年4月の出産予定日を指折り数えて楽しみにしていました。これまでさんざん心配をかけた夫や両親も、ここまでくれば大丈夫と一安心していたに違いありません。
ちょうど妊娠30週に入る2月の夜、チクチクと腹部を刺すような鈍い痛みが走るのを感じました。お腹をこわした時に感じるような痛みで、寝る時刻になっても消えません。
一夜明けても、その痛みは治まりませんでした。それまで1度も不調を自覚したことがなかったので、その痛みが気になって、たまたま家にいた父に車で病院まで送ってもらうことにしました。いつもは出勤している父が、その朝は家にいたことが、今にして思えば幸運でした。あのまま家で様子を見ていたら…。果たして今の幸せを手に入れることができたかどうかわかりません。
病院には出かける前に電話で症状を話しておいたので、すぐに診察してくれました。お腹の張りが強まっているとのことで、大事をとって入院することになりました。何しろ3回も子宮にメスが入っているハイリスク妊婦なので、設備の整ったN医大病院で出産することにして、それまでかかっていた開業医から1ヶ月前に転院していたのですが、そのことも幸いしました。
●子宮破裂で緊急手術
窓口で入院の手続きを済ませ、病室に案内されて、ベッドに横になろうとした、その時です。激痛が腹部を走りました。今まで1度も経験したことのない猛烈な痛みです。
看護師さんに促されてやっとのことでベッドに横になり、痛くて痛くて、ストレッチャーに移ることもできず、急遽、ベッドのまま手術室に向かうことになりました。
激痛は子宮破裂が原因でした。緊急の帝王切開手術が行われることになり、全身麻酔が施されました。そこから先は記憶がないのですが、たったひとつ、朦朧とした意識の中で聞き取った言葉がありました。「1244グラム!」という医師の声です。おそらく手術が終わって病室に戻るところだったのでしょう。その声に、あぁ生まれたんだと思い、次の瞬間また意識が遠のきました。なぜ、あの時、「1244グラム!」という声だけが耳に入ってきたのか、今も不思議な気がします。
子宮破裂によって、子どもは胃のあたりまで押し上げられていたそうです。仮死状態で生まれ、15分後に産声を上げたと、後で聞きました。病院の先生たちは生まれてきた子を助けることに全力を集中していたのでしょう。付き添っていた父が、子どもの性別を聞くまで、性別を確認するどころではなかったようです。
父からの連絡で駆けつけた母は必死の思いで、「どうか助けてください」と先生に言ったそうです。もし赤ちゃんに何事かあれば私が立ち直れなくなると、娘である私のことが真っ先に頭に浮かび、とにかく母子ともに無事で、と祈ったそうです。
●毎日、カメラで成長を記録
生まれてきた子は、女の子でした。30週で生まれた未熟児で、すぐに都立の小児病院に搬送されました。まだ自発呼吸が完全でないため、入院から26日間は小さな体に人工呼吸器や点滴、いくつものチューブがつながって痛々しいほどでしたが、担当の先生はなかなか「もう大丈夫」とは言ってくれません。未熟児には未熟児網膜症や乳幼児貧血など克服しなくてはならない課題があるため、医師の立場に立てば、そう簡単に「大丈夫」とは言えないのでしょうが、いつまで経っても「もう大丈夫」と言ってもらえないことが一番辛いことでした。。
12日目に初めてのミルクを飲みました。1回1CCのミルクを看護師さんがスポイトで飲ませてくれたのですが、ようやく赤ちゃんの仲間入りをしたみたいで嬉しかったです。
19日目には呼吸器がはずれ、一安心。28日目には初めてのカンガルーケアを経験しました。カンガルーケアというのは、裸の子どもを親の胸の上に乗せて、親子で肌の温もりを感じ合う、まさにスキンシップです。父親となった夫も、慣れない手つきでカンガルーケアをしました。。
3月末にはオッパイを吸うようになって、この頃から赤ちゃんらしさが増して、毎日会いに行くのが嬉しくてたまりませんでした。5月中旬に退院するまで、1日も欠かさず病院に行き、その日の様子をカメラで撮りました。。
1日1枚の写真は今も続いていて、成長の記録として毎日の体重とともにアルバムに納めています。1日1日の変化は目にははっきりと分からないものですが、アルバムを繰ってみれば、こんなにも成長していることが確認できて、胸がいっぱいになります。。
娘の名前は美栞(みか)と言います。斎藤先生に子宮保存手術をしていただかなければ、とうてい授かることのなかった命です。子宮破裂というアクシデントを乗りこえて、無事に育っている美栞を斎藤先生に見ていただきたくて、先日、美栞を連れて広尾に遊びに行きました。看護師さんにミルクを飲ませてもらって、2階のリビングでは皆さんがあやしてくださり、本当に嬉しい時間を過ごしました。。
美栞の誕生によって、我が家には大きな幸せが訪れました。子宮を残していればこそ手に入れることができる幸せであることを、斎藤先生への感謝とともに、皆さんにお伝えしたいと思います。
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術後のMRI(2003年)
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術後のMRI(2005年)
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術後のMRI(2005年)
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| 術後のMRI(T医大医療センターにて) |
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